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韓国のお葬式
2007/08/30 CATEGORY/フィールドワーク
フィールドノート(韓国のお葬式)
初めて韓国のお葬式に参加した。被葬者は23歳の女性で、急性白血病で亡くなったそうだ。この葬儀に突然参加出来るようになったきっかけは、被葬者が同じ日本人交換留学生の友人(韓国人)の後輩に当たり、日本人の友人から突然電話で「これからお葬式に行くので見に来ないか?」との知らせを受けてのことだった。兼ねてより韓国の葬送儀礼に興味があると伝えていたおかげで好機を得ることが出来た。このような場を提供してくれた友人とその韓国人の友人に感謝したい。
葬儀会場は私の留学している高麗大学の付属病院にある“葬儀場”だ。韓国では一般的に大病院ならそのような式場が設備としてあるとのこと。これは韓国社会における核家族化の影響や住宅事情があるようで、日本と同じく、家(注:韓国語表記が出ないので以下“チプ”とします)で最後を迎える葬儀スタイルが少なくなりつつあることを意味している。葬儀はキリスト教や仏教など宗派によって違いがあるかもしれないが、今回のケースでは仏教形式に則った葬法を見学させてもらった。
この家(チプ)をハングル表記にしたのには若干の意味がある。韓国では「家」や「家族」を表すときにこの【チプ】という表記を用いる。すなわち、文化人類学的な家族態や家族関係を表すときに用いられる表現が【チプ】であり、韓国社会における核家族化の影響を語るときには外すことが出来ない項目なので、あえてこの【チプ】という表記を用いた。家(チプ)については今後考察していきたい点なので今は述べないこととしよう。
さて肝心の葬儀であるが、最初に驚いたのが服装だ。突然のことなので全くの普段着で参加したのに、故人の友人たちもほとんどが私服であったことだ。“万事を差し置いて駆けつける”という意味では、馳せ参じるのにいちいち格好に気をつけていられないが、私はそのとき全くの私服だった。上は黒の無地のTシャツ、そしてその上に真っ青な半袖シャツをはおり、下はジーンズという出で立ちだった。日本人の友人の服装は白系のフリフリしたかわいらしい上着(何ていうんだ!?こういうの!?)にデニムのミニスカート。韓国人の友人にいたっては白Tの上に黒系のジャケットをはおり、下はジーンズという格好。これを見て私は、格好よりもいち早く駆けつけることを第一義としている旨を感じた。我々と同様に葬儀場に駆けつけた大学の同級生たちの服装も一様にシックではあったが普段着のような出で立ちだったので、やはりお国柄を感じざるをえなかった。
式といっても、本当のお葬式ではなく通夜のみの参加であった。通夜は通常三日間行われ、宗派や遺族の意思で二日葬・五日葬・七日葬などに分かれるという。これは個人的な私見であるが、宗派や遺族の意思だけでなく、季節や亡骸の損傷具合などの外的要因によって通夜の期間は違ってくるのかもしれないと感じたので追記しておく。
さて、お通夜の段取りであるが、故人の祭壇に向かう前にお香典を受付で渡した。日本では予め、お香典袋を買い求めておいた上でお金を包んで渡すが、ここでは会場内で白い封筒を受け取り、その場でお金を包んで記帳するというシステムだった。また、日本のように、お香典にまつわるしきたり的なものもなかった。
祭壇に向かい、葬儀社の人か、はたまた遺族の関係者か分からないが、祭壇前に一人、参加者をお通しする人が立っている。多分この人は遺族の関係者なのであろう。それはこの後に分かることなので後述しよう。で、我々は故人の遺影に深々と頭を垂れ、お別れをするのかと思っていたが、韓国式のお別れの儀式は少し違っていた。すなわち「チョル」である。このチョルとは、日本の文化には見受けることは無いのでイメージしにくいかもしれないが、“土下座”のようなものを想像して頂ければよかろう。いや、“土下座そのもの”を故人の遺影と亡骸の納められた棺に向かって行うと言った方が伝わりやすいか。まず、起立した状態から正座の状態へとしゃがみこみ、次に“三つ指”をついた状態で床に頭を擦り付けんばかりに頭を垂れた後に起立するという仕草を行う。この礼拝は3回行われ、その後、祭壇前に控えている案内係にも同じ仕草をするので、全部で計4回行うことになる。※
先程、案内してくれた人が葬儀社の人か遺族の関係者か分からないと記述したが、韓国人の友人がここで我々を案内係の人に紹介してくれたことによってこの人が身内の人であることがうかがい知れた。もしかしたら故人の兄弟に当たる人なのかとも思ったが、この件については、調べた後に追記したいと考えている。
一般的に、韓国人のお葬式では遺族の人が泣き叫ぶイメージがあると思うが、この通夜の席では至って普通であった。韓国人の友人曰く、「最後のお別れの時に思いっきり泣くため、その時まで涙は見せない」との説明だったが、些か拍子抜けな感じがした。私のイメージでは、韓国人の葬儀の際には思いっきり泣き叫ぶことが故人とのつながりの深さや、愛情の深さを物語るものだと思っていたが、それは“メインデッシュ”まで取って置かれるものだそうだ。
この「泣き叫ぶ」という行為には死者と生者のつながりが、今世だけのつながりか、来世もつながっていたいという思いの表れかという論議が出来そうだ。すなわち、今世のつながりを重視するのであれば、「今」における生者と死者のつながりを断ち切る「死」という現実に対して、徹底して受け入れたくないという気持ちの表れとして「泣き叫ぶ」のであろうかという思いが浮んでくる。また、「生まれ変わって」もつながっていたいという思いがあるが故に、「泣き叫ぶ」という行為が未来世における死者とのつながりを否定的に捉えられるが故に、「不徳なこと」とされる日本文化が対極にあるのかもしれないと感じた。まぁ、その論議の件はおいておいて、仮に全くそうではないとしても、“泣いてあげる”という行為によって、故人とのつながりを葬列に参加している周りの人にアピールしているのかもしれないと感じるところがある。そして韓国人には日本人の美徳とされている「人前で涙を見せない」という感覚や発想は理解しがたいかもしれないと思った。
死装束には麻を使った衣装が用いられるそうだ。この麻が意味するところが良く分からないので、後に調べる課題としてあげておきたい。
※“4”という数字は日本と同じ“死”をイメージして縁起が悪い数字だという。実際私が住んでいたホテルには“4階”は存在しなかった。もしかしたら、遺影に2回、遺族に1回の計3回かもしれない...
※追記→後日調べた結果やはり亡骸に2回遺族に1回の計3回であった。
テーマ : 韓国 - ジャンル : 海外情報
初めて韓国のお葬式に参加した。被葬者は23歳の女性で、急性白血病で亡くなったそうだ。この葬儀に突然参加出来るようになったきっかけは、被葬者が同じ日本人交換留学生の友人(韓国人)の後輩に当たり、日本人の友人から突然電話で「これからお葬式に行くので見に来ないか?」との知らせを受けてのことだった。兼ねてより韓国の葬送儀礼に興味があると伝えていたおかげで好機を得ることが出来た。このような場を提供してくれた友人とその韓国人の友人に感謝したい。
葬儀会場は私の留学している高麗大学の付属病院にある“葬儀場”だ。韓国では一般的に大病院ならそのような式場が設備としてあるとのこと。これは韓国社会における核家族化の影響や住宅事情があるようで、日本と同じく、家(注:韓国語表記が出ないので以下“チプ”とします)で最後を迎える葬儀スタイルが少なくなりつつあることを意味している。葬儀はキリスト教や仏教など宗派によって違いがあるかもしれないが、今回のケースでは仏教形式に則った葬法を見学させてもらった。
この家(チプ)をハングル表記にしたのには若干の意味がある。韓国では「家」や「家族」を表すときにこの【チプ】という表記を用いる。すなわち、文化人類学的な家族態や家族関係を表すときに用いられる表現が【チプ】であり、韓国社会における核家族化の影響を語るときには外すことが出来ない項目なので、あえてこの【チプ】という表記を用いた。家(チプ)については今後考察していきたい点なので今は述べないこととしよう。
さて肝心の葬儀であるが、最初に驚いたのが服装だ。突然のことなので全くの普段着で参加したのに、故人の友人たちもほとんどが私服であったことだ。“万事を差し置いて駆けつける”という意味では、馳せ参じるのにいちいち格好に気をつけていられないが、私はそのとき全くの私服だった。上は黒の無地のTシャツ、そしてその上に真っ青な半袖シャツをはおり、下はジーンズという出で立ちだった。日本人の友人の服装は白系のフリフリしたかわいらしい上着(何ていうんだ!?こういうの!?)にデニムのミニスカート。韓国人の友人にいたっては白Tの上に黒系のジャケットをはおり、下はジーンズという格好。これを見て私は、格好よりもいち早く駆けつけることを第一義としている旨を感じた。我々と同様に葬儀場に駆けつけた大学の同級生たちの服装も一様にシックではあったが普段着のような出で立ちだったので、やはりお国柄を感じざるをえなかった。
式といっても、本当のお葬式ではなく通夜のみの参加であった。通夜は通常三日間行われ、宗派や遺族の意思で二日葬・五日葬・七日葬などに分かれるという。これは個人的な私見であるが、宗派や遺族の意思だけでなく、季節や亡骸の損傷具合などの外的要因によって通夜の期間は違ってくるのかもしれないと感じたので追記しておく。
さて、お通夜の段取りであるが、故人の祭壇に向かう前にお香典を受付で渡した。日本では予め、お香典袋を買い求めておいた上でお金を包んで渡すが、ここでは会場内で白い封筒を受け取り、その場でお金を包んで記帳するというシステムだった。また、日本のように、お香典にまつわるしきたり的なものもなかった。
祭壇に向かい、葬儀社の人か、はたまた遺族の関係者か分からないが、祭壇前に一人、参加者をお通しする人が立っている。多分この人は遺族の関係者なのであろう。それはこの後に分かることなので後述しよう。で、我々は故人の遺影に深々と頭を垂れ、お別れをするのかと思っていたが、韓国式のお別れの儀式は少し違っていた。すなわち「チョル」である。このチョルとは、日本の文化には見受けることは無いのでイメージしにくいかもしれないが、“土下座”のようなものを想像して頂ければよかろう。いや、“土下座そのもの”を故人の遺影と亡骸の納められた棺に向かって行うと言った方が伝わりやすいか。まず、起立した状態から正座の状態へとしゃがみこみ、次に“三つ指”をついた状態で床に頭を擦り付けんばかりに頭を垂れた後に起立するという仕草を行う。この礼拝は3回行われ、その後、祭壇前に控えている案内係にも同じ仕草をするので、全部で計4回行うことになる。※
先程、案内してくれた人が葬儀社の人か遺族の関係者か分からないと記述したが、韓国人の友人がここで我々を案内係の人に紹介してくれたことによってこの人が身内の人であることがうかがい知れた。もしかしたら故人の兄弟に当たる人なのかとも思ったが、この件については、調べた後に追記したいと考えている。
一般的に、韓国人のお葬式では遺族の人が泣き叫ぶイメージがあると思うが、この通夜の席では至って普通であった。韓国人の友人曰く、「最後のお別れの時に思いっきり泣くため、その時まで涙は見せない」との説明だったが、些か拍子抜けな感じがした。私のイメージでは、韓国人の葬儀の際には思いっきり泣き叫ぶことが故人とのつながりの深さや、愛情の深さを物語るものだと思っていたが、それは“メインデッシュ”まで取って置かれるものだそうだ。
この「泣き叫ぶ」という行為には死者と生者のつながりが、今世だけのつながりか、来世もつながっていたいという思いの表れかという論議が出来そうだ。すなわち、今世のつながりを重視するのであれば、「今」における生者と死者のつながりを断ち切る「死」という現実に対して、徹底して受け入れたくないという気持ちの表れとして「泣き叫ぶ」のであろうかという思いが浮んでくる。また、「生まれ変わって」もつながっていたいという思いがあるが故に、「泣き叫ぶ」という行為が未来世における死者とのつながりを否定的に捉えられるが故に、「不徳なこと」とされる日本文化が対極にあるのかもしれないと感じた。まぁ、その論議の件はおいておいて、仮に全くそうではないとしても、“泣いてあげる”という行為によって、故人とのつながりを葬列に参加している周りの人にアピールしているのかもしれないと感じるところがある。そして韓国人には日本人の美徳とされている「人前で涙を見せない」という感覚や発想は理解しがたいかもしれないと思った。
死装束には麻を使った衣装が用いられるそうだ。この麻が意味するところが良く分からないので、後に調べる課題としてあげておきたい。
※“4”という数字は日本と同じ“死”をイメージして縁起が悪い数字だという。実際私が住んでいたホテルには“4階”は存在しなかった。もしかしたら、遺影に2回、遺族に1回の計3回かもしれない...
※追記→後日調べた結果やはり亡骸に2回遺族に1回の計3回であった。
テーマ : 韓国 - ジャンル : 海外情報
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